ヌエック丸ごと存続運動をやっていると、私のフェミニズムの知識が断片的だなあって感じる。
大学1年生時、高畠通敏の基礎文献購読の助手は井上輝子さんだった。
井上輝子さんの「日本のフェミニズム」を読んでいると、当時はまだ、彼女は女性学には関わっていなかったことがわかる。
どんな人だっただろうか・・・最初の職場で、最初の女子学生が私だったはず。
栗原彬研究室では、多様な女性差別にかかる書籍が並んでいて、私は自由に読ませていただいた。高群逸枝、田中美津、サンダカン八番館、どっさりと読んだ。私がすごく気に入った本があった。柴田道子の「日本のお母さん」ヘレン・ケイトなど、が、まだ、その当時は女性学は出来上がっていなかった。ジェンダー平等も、男女共同参画も。ただ、ただ、書籍を読む感じで、知識を得ていた。
今思っても、残念なことは系統的に学んでいないことだ。
思想的な流れも全てそうだ。
ヌエックのことに取り組んで、その知識の欠如にまいったなあ。っておもう。
55年前の大学時代の友人が、フェミニズム関連の書籍を段ボール2箱送ってきた。
大変なことになった。唸っている。
最初から系統だって学びなさい。というアドバイスだ
なぜ、国立女性教育会館を潰す動きになってきたか。
井上輝子さんや、田中美津さんという運動のリーダーシップを取る人が亡くなったきたことが大きいのではないかって思う。
ジェンダー法があるのは「虎と翼」の明治大学だけなのだとか・・・
かつて、憲法学者の杉原康雄さんに、日本の女子大には法学部はないんだよって言われた。
実際には、京都女子大にはあるようだが。
女性学にしても、ジェンダー法にしても、体系だった学問として続いていないと、流れは無くなっていくということか。
それが、国立女性教育会館潰しに表象として現実のものになっている。
男女共同参画っていうのはおかしな言葉だ。男女平等参画ならスッキリできるのだが、共同だと、男主、女従でも共同なのだ。
国立女性教育会館は、男女共同参画のナショナルセンターとして位置付ける。そうか。やはり、男主・女従の政策思想だ。
国立女性教育会館は、男女共同参画目的の利用が少ないので、施設運営費が無駄。研修棟・宿泊棟を撤去する。オンラインで研修を行う。
という理由だが、男女共同参画ないし男女平等参画は日常生活で実現するものである。
さまざまな日常生活の学び、文化・スポーツ・生活文化・芸術など。それを含めて総合的に、学校の学習ではなく、生涯学習の学びの場を保障する施設にしていく方が良い。
こども家庭庁が横串を指すというように、男女共同参画?も横串を指していかなくては政策としては狭義の政策で終わってしまう。どう提案できるか。
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